2018年3月24日土曜日

[ITmedia エンタープライズ] いくら正しくても“失礼”だと敵視され、殺されてしまう


 どの会社にも、どんなコミュニティーにも、一定数、「失礼な人たち」がいる。

 「失礼」は抽象的な表現であり、相対的なものなので、当然、ある人が失礼と感じることが、他の人にはそうではないことがたくさんある。

 だが、「失礼」は確かに存在している。

 「論語」によれば、失礼というのは、「慎みと敬意がない」ということである。

 例えば、インターネットではよく見かけるが、相手に「ばか」「無能」と言ってしまうのは失礼にあたる。

 同じように、誰かが間違ったことをしたときに、皆の目の前で「間違っている」と批判することも、失礼な行為だ。


 以前、こんなことがあった。

 その企業は小さなシステム開発会社で、ワンマン経営をしている社長がいた。そして、その社長は思い込みの強いタイプで、会議でよく間違ったことを言った。

 例えばこんな具合だ。

 「ソフトの品質が悪いのは、仕事への思い入れが足りないからだ!」

 現実には、ソフトの品質は「思い入れの問題」というよりは、「マネジメントの問題」なのだが、社長はそう考えていなかった。

 すると、普段からそういった精神論を苦々しく思っていた、若手のプロジェクトマネジャーが言った。

 「社長、精神論よりも、ちゃんとプロジェクマネジメントの手法を勉強してくださいよ」

 その場は凍りつき、社長は激高した。

 「そういう責任のすり替えが、良くないと私は言ってるんだ!!!!」

 そのプロジェクトマネジャーは社長の激高ぶりに驚いたのか、「すみません」と謝ったので、その場は収まった。

 面白いことにその後、社長はプロジェクトマネジメントのやり方を改め、品質は向上した。

 若手のプロジェクトマネジャーの言うことに一理あるとは思ったかもしれない。

 だが、その社長に「楯突いた」プロジェクトマネジャーは、その後冷遇された。

 社長は彼のことを、明らかに嫌っていた。

 「小ざかしい」という表現が、彼の評価だった。

 私はそれを見て、「失礼だと思われること」の代償を痛感した。

 社長は確かに思い込みが強く、マネジメントという観点では無能だったが、彼を公然と批判することの代償は非常に大きかったのだ。

 その若手のプロジェクトマネジャーは、後に会社を去った。


 残念ながら「正しいこと」をそのまま伝えると、「失礼」になることも多い。

  • データがこう言っています
  • 論理的には、こちらが正しいです
  • 筋が通ってないですよね
  • 法律違反ですよね

 しかし、こういった「正しさ」を、間違っている人にぶつけても、大抵は物別れに終わる。しかも、敵視される。

 「話せば分かる」という言葉は美しいが、残念ながら、人間同士は話しても分からないのである。なぜなら、人間は失礼な人の言うことは、正しくても聞きたくない、と思うからだ。

 ソクラテスが殺されてしまったのは、正しさをぶつける「失礼な人だった」からである。

 では、「間違っている人たち」とどのようにコミュニケーションを取ればよいのだろう。話しても分からない他人と、話し合う方法はあるのだろうか。

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