2018年3月17日土曜日

ロバート・ライマン 展覧会 開催 @ファーガス・マカフリー東京

ファーガス・マカフリーは、東京スペースのオープニングとして、現代アメリカ美術を代表する作家、ロバート・ライマンの展覧会を開催致します。本展では、1961年から2003年までに作成され、ライマンの長きにわたる創作活動の全容を概観する11の絵画作品を、3月24日から5月19日まで展示致します。  

(図1) 無題 (1961). 油彩、油彩、ブリストル紙 22.7 x 22.9 cm

ライマン作品は、繊細と同時に雄大で、精巧でありながら超越的であると形容されます。本展ではライマンの哲学的でプロセスに基づいた制作アプローチと、 中西夏之、李禹煥、河原温等、同年代の日本人作家の制作アプローチがいかに共鳴するかを追求します。中西と同様、ライマンは自身が使用するミディアムの本質的な属性を追及し、様々な形式と技術の試みを通して、「絵画」のまばゆく瞑想的な特性を探ります。このようなアプローチは実験を重ねることで成立しますが、決して偶然の出来事に依存しているわけではありません。ライマンは形態、環境、素材、表面の間にある微妙な相互関係を探るため、精密で秩序だった探求を行うのです。

表面と光 — ライマンの単色によるアプローチ

ライマンはもともとジャズ・サクソフォンの演奏を学んでいましたが、1953年から1960年にかけ、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で警備員として勤めていた頃に絵画制作を始めました。MoMAの教育部での講座以外には画家としての正式な教育は受けず、MoMAで展示されていたマーク・ロスコ、ウィリアム・デ・クーニング、ジャクソン・ポロックやバーネット・ニューマンの作品を注意深く観察することに集中していました。

1955年、ライマンは素材の特性を手探りで検証する実験を通し、最初の抽象画を制作します。ブリストル紙に描かれた、いかにも私的な作品「無題」(図1, 1961)をはじめ、1960年代初頭の作品群からは物質性と質感に対するライマンの関心が読み取れます。ライマンは一貫して白を基調とした作品を制作し続け、自身の作品は錯覚を試みない故に「リアリスト」だと宣言したことは広く知られています。「“何”を描くかは全く問題ではない。“いかに”描くか、それだけが問題だ。」というのは自身の創作に言及した有名な言葉です。  

(図2) Stamp (2002) 油彩、キャンバス 35.6 x 35.6 cm  

(図3) 無題 (1980/2003) 油彩、キャンバス 48.3 x 48.3 cm  

(図4) Section (1985) 油彩、アルミニウム 40.6 x 40.6 cm

躍動的、表現的、抑制的表現から記号の反復。澄み渡る滑らかな表面から、力強い厚塗りまで、ライマンの描画スタイルは極めて多彩です。一見、ライマン作品は単色のように見えますが、画布上には黄土色、青、グレーなどが繊細なグラデーションで塗布さ れ、絵画層表面の白色下層部には、しばしば鮮やかな色彩の絵画層が横たわっています。

このような技法は、「Stamp」(図2, 2002)において一目瞭然で、下層に施された辛子色や曇った金色が、表面の白色に対し、内側から暖かな光を放つような効果を与えています。また、初期の油彩画、「#20」(1963)では、奔放な筆致で施された下地の緑青色が、それが無ければ飾り気ない茶色の画布に、大きな変化を与えていることが見て取れます。

さらに、繊細なカラー・グラデーションの実験以外にも、キャリア全体に渡りライマンは驚くほど幅の広い素材と支持体を使用しています。80年代にはキャンバスを超え、立体空間にまで表現の幅を広げ、既存の伝統的な展示様式に挑み始めます。鋼板に、力強い、厚塗りの油彩白色を施し、4つの工業用留め具で壁に備え付けられた

「無題」(図3, 1980/2003)には、作家のこの試みがはっきり示されています。ライマンが使用する素材はとても幅広く、工業用ペイント、希少な顔料や支持体、接着剤か らファイバーグラス、金属、木材等の取り付け具にまで及んでいます。支持体についてもボード、キャンバス、紙以外 に、表面を磨いて金属の自然な輝きを活かしたアルミニウムを多用します。そこでは、金属の輝きをぼかすのではなく、補足するかのように絵の具を配するのです。この技法は「Section」(図4, 1985)に見られ、さらにこの作品は白いネジで壁に直接取り付けられることで、作品の展示技法とオブジェクトとしての特性をオーディエンスに強く訴えかけるのです。

ファーガス・マカフリー、東京オープニングに際して

何世代にもわたり、欧米人にとって日本は、魔法のような魅力を持つ場所であり続けています。実際、大学時代の私も、この国の持つ美的洗練さ、文化の深遠さ、そして神秘性に深く魅惑された一人でした。そして、日本にギャラリーをオープンする事が、私にとっての大切な、胸に抱き続けた大きな目標であったのです。東京でのギャラリーを通して、目にされる機会の少なかった戦後日本美術の豊かさを、作品が生み出されたこの地で皆様と共有し、また海外のアーティストがこの素晴らしい国との絆を築く機会を作り出すことを願っています。

2006年の画廊設立以来、ニューヨークでは様々な国のアーティストによる作品を紹介して参りましたが、私たちの成功の基礎は、戦後日本美術の「具体」、「ハイレッド・センター」、「もの派」の展覧会で大きな名声を得られたことにあります。このような背景から、我々がアジアに拠点を設けるにあたり、丹下健三、伊藤豊雄、ヘルツォーク& ド・ムーロン、安藤忠雄や隈研吾らの建築物が立ち並ぶ文化中心地である東京、青山界隈にオープンすることは自然な決断であったのです。

ギャラリーデザインはアメリカの著名なデザイナー、ビル・カッツ、東京のmtka建築事務所、京都の中村外二工務店によるコラボレーションです。カッツ氏はジャスパー・ジョーンズ、アンゼルム・キーファー、フランチェスコ・クレメンテやエルズワース・ケリーのスタジオや展示スペースのデザインを手がけ、その優れた感性で広く名を知られています。mtkaは、日本国内の博物館やギャラリースペースのデザインで著名な経歴をお持ちです。中村外二は卓越した伝統的数寄屋建築(茶室)の先駆者として京都の寺院修復と再建を手がけ、何代にもわたり三重県伊勢神宮の建築にも携わっています。この比較的小さな空間をデザインするにあたり、伝統とモダンさがバランスよく融合する設計を依頼しました。この東京ギャラリーそのものに、街の文化を映し出すような独自性があります。このスペースはニューヨークにあるような工業的なホワイト・ボックスではありませんし、何よりも近代の西洋建築は実に多くのことを日本の建築から学ばなければいけないと考えています。その様な中でバランスを見つけることは簡単なことではありませんでしたが、ビルはそれを見事に達成してくれました。

— ファーガス・マカフリー

来場者は作品に出会うためにこのスペースに来るため、建物そのものが主張しすぎないようデザインすることを意識しました。ファーガス・マカフリー東京ギャラリーは私にとって日本で初めてのプロジェクトであり、中村外二工務店とディー・ブレイン社という非常に技術の高い職人の方たちと仕事ができたことは大きな喜びでした。彼らの緻密さには本当に驚かされました。今までミリ単位で仕事をしたことはなかったのですから!施工が完了し、スペースを歩きながら、私はこの空間は日本以外では作ることはできないと強く実感致しました。アートにはぴったりの空間です。

— ビル・カッツ

ファーガス・マカフリーについて

ファーガス・マカフリーギャラリーは、2006年の設立以来、元永定正、中西夏之、白髪一雄、高松次郎など、日本戦後美術の国際的な評価を確立させる上で、中心的な役割を担って参りました。マーシャ・ハヒーフ、バージット・ユルゲンセン、リチャード・ノナス、シグマー・ポルケ、キャロル・ラマなど独創性に富んだ気鋭の西洋作家の作品展示も行っています。

- お問い合わせ先 -

ファーガス・マカフリー東京

Tel: 03-6447-2660

Email: tokyo@fergusmccaffrey.com

ギャラリーマップ

 

〒107-0061 東京都港区北青山3丁目5-9-1F  



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